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オオカミは、赤ずきんに恋をした

オオカミは、赤ずきんに恋をした





「あら、おばあさん、なんて大きなお耳。」
「おまえの声が、よくきこえるようにさ。」


「あら、おばあさん、なんて大きなおめめ。」
「おまえのいるのが、よくみえるようにさ。」


「あら、おばあさん、なんて大きなおてて。」
「おまえが、よくつかめるようにさ。」


「でも、おばあさん、まあ、なんてきみのわるい大きなお口だこと。」
「おまえをたべるにいいようにさ。」



 こういうがはやいか、おおかみは、いきなり寝床からとびだして、かわいそうに、赤ずきんちゃんを、ただひと口に、ぱくりとやってしまいました。



                             *


 俺は、もう何度目とも知れないため息をついた。
 額を流れる汗を乱暴にぬぐって、いつもは全開にしているシャツのボタンを一つずつ留めていく。小さなボタンを扱うまどろっこしさに苛々した。
 ふと壁に掛けてある鏡にうつりこんだ自分の姿が目に入る。鏡の向こうに映る自分の明るいブラウンの髪は、顔のサイドだけ後ろで結んである。
 前、会いに行ったときこの髪形はえらく好評だったから。

「……」

 黒く染めるかな…せめてもっと暗い色にするとか。

 脱色してるせいかやや傷んだ髪の先をつまみながら、どうせなら切るか、と最後のボタンを留めて、ぐわーあ、とでかい欠伸を一発かました。



 イラついた俺の様子に気づかないのか、隣で着替えていた亮平がニヤニヤと笑いながら話しかけてくる。
「こんなあっついのに体育とかだっりー。マジであほだろ」
「……」
「どーしたよ、楠原。珍しくまじめなかっこ」
「うるせえ」
「ていうかさ、次の4限って神田の現社じゃん?めんどくせーから、さぼんね?」
「さぼんねえ」
「……ノリ悪いなあ。じゃあ、俺一人でさみしくサボるから、餞別に1本恵んで」
「…。意味わかんね。もうお前うぜぇからこれ持ってさっさと行けよ」
 制服のポケットにぐちゃぐちゃになって入っていたマイセンを丸ごと亮平の手に押し付ける。
 亮平と俺とは中学時代からの仲だ。
 くだらねえ悪いことばかり一緒にやってきた。
 亮平と俺が高校まで同じだということに、何の不思議もない。
 俺らみたいな馬鹿でも入れる公立高校なんて、学区内にこの学校しかないのだ。必然、周りの連中はどいつもこいつも不景気そうなツラのおんなじような奴らばかりになる。
 俺は付き合いだしてまだ2か月の彼女のことを思い出し、やっぱり髪は切ろうと決めた。



 俺の通う高校から電車で3駅。たった3駅しか違わないのに、コンビニの前で煙草をふかしてしゃがみ込んでいるやつらの姿が、こちらには全くない。えらくきれいなキャンパスの私立大と付属の私立高校。その道路を挟んだ隣に、税金で建っているとは思えないほど立派な公立高校の校舎がある。
 直(なお)さんはこの高校の3年生だ。
 俺は直さんに会う度、直さんの同級生とすれ違う度、自分が15歳という年齢の割りにガタイがいいことに安堵する。
 中3にして既に176cmだった俺の身長は、きっと今年中に180の大台に乗るだろう。



 校門の前であほみたいに突っ立ったまま待っているのはやっぱり嫌で(あの四方八方から注がれる好奇の視線にはぞっとする)、俺は近くのシアトルズカフェに入った。
 チェックのズボンにシャツとネクタイという当たり前の制服なのに、俺が着ると馬鹿みたいに見えるのはなんでだろう。
 まあ、実際俺は馬鹿だから、しょうがねえっちゃしょうがねえんだけど。
 ここらへんを歩いてるのは学ランかセーラー服の連中ばっかりで、茶髪にしてようがスカートをあげてようが腰パンしてようが、独特の品みたいなものを適度に持っていて、それが俺にはえらく腹立たしい。
 だって、直さんはあっち側なんだ、ってのをまざまざと見せつけられる気がするから。
 
 俺がここのところ、亮平たちに「お前何オリコウサンなカッコしちゃってんの。今から優等生にでもなる気かよ?」と笑われているのも分かってる。
 はたから見たら、俺は彼女に影響されてふらふらしてるバカみたいなヤツなのかもしれない。
 でも、俺といることで直さんに恥ずかしい思いをさせたくないし、ちゃんと一緒にいれるくらいのヤツでいたいと思ったのだ。

 誰かと付き合っててこんな面倒くさいこと思ったのは初めてだし、正直俺は直さんと何話せばいいのかさえ分んねえのに、この先うまくやっていけんのかどうかめちゃくちゃ不安だ。
 大体、カノジョに「さん」付けなんかしてるのも初めてだっつうの。

 頬杖をついて、冷えて汗のかいたグラスをなんとなく眺めていると、携帯が鳴った。
 登録してある電話番号の中で、唯一初期設定にした無愛想な電子音。
 ピピピピピが2周するまでに電話に出た。

「もしもし」
『もしもし、遥(はるか)?もうこっち?』
「うん。直さん、今から学校出るとこ?だったら俺そっちまで行くけど」
『そう?じゃあ、そうしてもらおうかな…。裏門分かるよね?自転車置き場のとこの。そっちにいくから』
「じゃあ、その辺で待ってる」
『ありがと。じゃ、またあとで』
「ん」

 そっと携帯から耳を話し、ボタンを押す。耳から話す間際に「ツー…ツー…」という音が聞こえて、やっぱ電話切るのは俺の方が後なんだな、とか下らねえことを思う。
 ほとんど減っていないアイスコーヒーのグラスを片手に、俺は立ち上がった。


「あ、ちょうどだね。」
「…ぅす」

 ちょうど直さんが門から出てきた。軽く片手を上げて直さんが俺の隣に来るのを待つ。
 たまたま俺らの横を通り過ぎようとした直さんの同級生が、俺のことをガン見していて、俺はため息を押し殺した。
 俺と直さんが2人で歩いていると、冗談抜きで俺がカツアゲでもしているんじゃないかというふうに見える。直さんのクセのあるボブが揺れる。

「遥は今日どこ行くとか考えてる?」
「や、別に。…どっか行きたいとこあんの?」
「いや、だったらうち来ない?このあいだ妹がリュック・ベッソンの映画借りてきたの。一緒に観ようよ」

『あたし、家でのんびりしてるほうが好きだし。』
 2回目のデートで確かそんなことを言われた。
『でも、おいしいものを食べに行くのは好き。』

 そういえば、その日のデートは直さんの部屋で映画を見たあと、直さんに連れて行ってもらった居酒屋で、おいしいとろろ芋のぱりぱりソース焼きやらカリカリの手羽先やらを食べたんだった。(直さんの食べ物の好みは女々しくなくて好きだ)
 直さんが「クラスの子とか友達とかと結構食べに行くから」と言った通り、彼女は自分高校の近くにある安くて美味しい店を、ずいぶんと押さえているようだった。その証拠に、この2か月という短い期間に3回は一緒に外でメシを食べた。

 食べ終わった後はあっさり割り勘。15歳は育ち盛りだから禁酒。という直さんルールのもと、ノンアルコールで。

 お人形のような顔をしていると思いきや、ずいぶんさばさばした性格の持ち主だったのも直さんに惹かれた理由の一つだと思う。
 今までの女たちとは違う新鮮さに最初は戸惑いもしたけれど。

「それにしても、髪伸びたねえ…」
「もう切ろうかと思ってたんだけど。どうせだから、髪も黒くしようかって」
「そうなの?今の色きれいなのに。今日の髪形、あたし好きだよ」
 なんかかわいいよね、ガタイのいい男の子が女の子みたいに髪結んでるのって。

 ね?と笑われて、言葉に詰まる。
「俺はあんまよく分かんねえけど…」
「そう?まあ、遥だったらなんでも似合いそうだけどねえ」

 直さんといるとさらりと照れるようなことを言われるので、なんだか心臓がもたない。
 ていうか、なんだよ、これ。こんな俺は気持ち悪ぃだろ、絶対。

 俺はぶっきらぼうな返事を時折しながら、直さんと電車に揺られていた。



 35と38だったらさ、たった3つだろ。
 大した違いねえじゃん。って言えるだろ。
 でも、15と18じゃさ。大違いだ。むかつくことに俺の誕生日は2月で、直さんの誕生日は4月だし。
 高3と高1じゃあ。全然、ぜんぜん、ちがうんだって。


 付き合い始めてすぐの頃、直さんが同級生の男と歩いているのを見た。5月ぐらい。
 直さんの隣に立っていた男は、ちょうど黒いプラスチックフレームのメガネを押し上げていた。フレームのサイドに格子模様のメガネ。
 それに、コンバースの白いハイカット。長めの黒髪を女物のヘアピンで止めていて、直さんがそれを指さして笑っていた。
 不満げな顔をした男が前髪からピンを抜き取って、直さんに手渡し、直さんはそれをスカートのポケットに入れた。
 俺が、ああ、あのピンは直さんのだったんだな、とぼんやり思っている間に、男のたくましい腕がひょいと直さんの手から荷物を奪った。
 ガムテープや模造紙なんかが入った透明のビニル袋。ディスカウントショップのロゴが付いたビニル袋の重さなど感じさせない様子で、男は直さんの隣を歩いていた。

 俺は別にこのことで直さんのことを疑っているわけでもなんでもない。
 文化祭の時期だったし、買い出しか何かだったに決まっている。
 でも。
 年下で馬鹿な俺にはどうしようもない距離でも、なんでもなくできてしまうような何かがあの2人にはあった。

 俺はまだろくに仮定法も使えないし、カフカが誰かも知らないし、芥川も太宰も読んだことがない。3次関数のグラフだって書けない。てうか、そんなの習ってもない。
 直さんが俺の知らない2年の間に経験していて、でも俺にはまだ想像もできないことがきっとたくさんある。
 ぶん殴りたくなるけど、直さんと歩く俺の制服を見て、「へえ」みたいに見る連中もいる。
 俺は嫌なんだよ。
 そういうのが嫌なんだ。でも、直さんのことが好きなんだよ。なんでか知んねえけど。まだ付き合って全然たってねえけど。

 今の自分は馬鹿みたいに卑屈になってるな、という自覚はなんとなくだけど、ある。でもだからってそう思うのを止められるわけじゃないから、大した意味はないけどな。

「遥」
「…あ?」
「眉間にシワ」
「……」
 正座を崩したような形で横に座っていた直さんが、ぐいっと体を寄せて手を伸ばした。軽い痛みが走って、彼女が髪を結んでいたゴムを引っ張ったんだと分かる。
「映画、観ねえの?」
「観るよ」
 身長差があるせいか、直さんは最近何かと俺の髪を軽く引っ張ってくるようになった。
 別にそんなに痛いわけでもないから問題はないのだが、そんなことしてハゲたらどうしてくれるんだ、と思わなくもない。
「結びなおしていい?」
 膝立ちになった彼女に合わせるように、やや背を曲げる。小学生みたいに小さな彼女の手が両側から俺の髪を弄ぶ。
「前からじゃ髪結ぶの無理だろ」
「んー…」
 聞いてない。
 仕方がないので、直さんの好きにさせることにする。
 部屋はクーラーがきいているので、くっついていても暑苦しくはない。ただ、あんまり近寄られると俺が汗臭いかもしれないから、困るけど。
 彼女というより、小さな子どもを相手にするような感じで、額に小さなキスを落とした。
 そんなやり方も、彼女から教えてもらったもので、その肝心の彼女はというと、じっと俺の口元を凝視していた。

「………直さん、何?」
「んー…」
「じゃあ、なにガン見してんの。つうか、映画観るっていったろ、ほら」
 ぽんぽんと背中をたたく。
「遥って口大きいよね」
「いきなりなに……俺は、んなこと言われた事ねえけど」
「大きいの」
「……」

 あたし、遥の口好き。
 あれだよね、なんかばくって取って食われそうな感じするよね。

「初めて会ったとき『食べられそうだ』と思ったもん」
「……。さすがに俺は知らない女といきなり寝るほど手ぇ早くありません」
「だからその『食べる』じゃなくて。もぐもぐ食べるの方の『食べる』」
「ええ?」
「『あかずきんちゃん』のオオカミみたいな」
「はあ…」
 ぐっと直さんが身を乗り出した。
 べろりと唇を舐められて、さすがに驚く。
「直さん?」
「もうそろそろ『さん』付けやめない?」
 あたしは「遥『くん』」なんて呼んでないでしょうが。と顔をしかめられる。
「あー…じゃあ、…『直』?」
「うん。というか前から『さん』付けとか全然遥に似合わないなあ思ってたけどね、あたしは」
「……」

 遥が年下だろうが関係ないよ。大体、初対面からタメ口だったのに、なんなのその妙な気の使い方は。

 俺が言葉を探している間に、彼女はするりと俺の腕の中に入ってきて、耳元に小さく『映画は今度にしようか』と囁いた。
 直さん…じゃなくて、直は俺が悩んでいるのを知ってか知らずかこういう風にふっと俺の沈んだ心をすくい上げる。

「直さ…」
「……」
「えっ…と、直」
「うん」
「…なんかさあ。めんどくせえよ、今更。もう『直さん』で慣れちゃってんのにさ。いいじゃんかそれで」
「はあ?こ…この、ばかー!!」
 俺の腕の中で暴れだした直さんをなだめようとするも、人の心のキビ(なんて意味の言葉なのか俺は知らなかった)が分かってないだとか、雰囲気を壊すなだとか(でも、今雰囲気を壊したのは直さんのせいでもあると俺は思う)言ってわめくので、結局俺たちがその日、直さんの部屋のベッドのお世話になることはなかった。
 


 俺がオオカミだとしたら、直さんは赤ずきんということになる。
 こんなに赤ずきんのことが好きで、振り回されてばっかりのオオカミなんか馬鹿みたいだ。

「おばあさん、まあ、なんてきみのわるい大きなお口だこと。」
「おまえをたべるにいいようにさ。」


『遥って口大きいよね』
 それはな。直さんを食べるにいいように、さ。



  -THE END-


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